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仙台ボランティア

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今週は5月に続き、仙台と石巻に行ってまいりました。

きっと、被災地の方々の為に何かしたいけど、なかなか形にできないというジレンマをおもちの方々いると思います。

そんな方のヒントになるかもという気持ちも込め、この日記に今回仙台に行った率直な気持ちを綴ります。

まず現地に行って自分の目で被災現場を見た時の感想は、「テレビで見るニュースとは全く別物である」というのが一番大きな印象でした。

私達は普段から、映画等の様々な映像をテレビという画面を通して見ています。ですからきっとフィクションとノンフィクションとの境もうまく感じられない、いつの間にか曖昧になっている気がします。
ですから、あの被災現場の惨劇を五感すべてで感じた時、「涙が止まらない」「言葉が見つからない」というのが現状でした。

今回は少しでも復興のお手伝いをしたいということで近隣のお坊さん25人と共にボランティアと慰霊に行ってきたのですが、ボランティアをしての感想と問題点をお伝えしたいと思います。私の勝手な見解もあるかと思いますのでもしかすると現実と違ったところがあるかもしれませんのでご了承ください。

まず1つは、「ボランティアの方々の仕事は思っているよりも過酷で、そして他人から評価されづらい地味な作業だ」ということです。

たとえば、私は今回排水溝に詰まった泥とヘドロを土のう袋に詰め、搬出するという作業をしたのですが、1チーム15名で1日作業をしてできたのが、50メートルくらいの排水溝2本の復旧です。1人でなら単純に1カ月かかると思います。もちろんそれには重機も使用しておりますが、多くは人力で行わなければならない部分が多くありました。

もう1つの仕事としては仮設住宅へお届けする日用品の仕分け作業です。食器、歯ブラシ、電池、石鹸など仮設住宅にお配りする物資の仕分け作業です。
これもまた一見簡単そうに見えますが、物資の量、そして配布数が1000単位ですから本当に大変な作業でした。

そんな作業を必要としている場所が町全域、県全域そして東北地方全域に広がっているということです。1人の人間ができる作業を考えると何万人のボランティアが結集して何年かかるのか?全く想像もつかない仕事量となります。

そんな無尽蔵にある仕事量に今立ち向かっているボランティアの方々がいるということ、そしてその方々の多くはテントで何ヶ月も生活をしながらの作業となります。
たとえ仕事としてお金をもらっていても出来ない仕事であり、それがボランティア(無料奉仕)であることは本当に考えられないことです。

仏の教えには「困ったときにはたくさんの菩薩が地面より出現する」とありますが、まさに1人1人が仏様であるかのようです。

そんなボランティア現場の実態としてもう1つ問題となっているのが資金面のことだと思います。現場ではやはり多くの重機を必要とし今までも心ある方々が重機を持ち込んでの復興協力をされてきたようでした。その方々も長期の奉仕をされている間、ガソリン代などの諸経費等で多くの負債を抱えることになるのです。100万円単位の負債を抱え、やむなく被災地を後にするというのが現状のようです。

ボランティアに参加する方々についてもそうです。関西・関東また全国より集まってくる方々の交通費・宿泊費・生活費というのは、そのほとんどが実費となります。仕事を休み、お金と時間を使わなければならない。そんな実態があります。

ここから何年もかかる長期的な作業をしていかなければならない、そのボランティア仕事を支えられる仕組みを作らねばならないと思います。

そして、復興に協力をしたいという多くの方々の声も聞いております。そんな1つ1つの想いも力も集めて被災地へ届けること、これが今「お寺」が出来ることの1つであると思います。

先日も被災された方々への慰霊法要をお寺で行ったところ多くの浄財が集まりました。亡くなった方々と、被災地で苦しんでいられる方々両方に関われるのも「お寺であり僧侶である」と思います。ですがそこにはまだまだ多くの障害があります。

これから有志の方々を募り、復興支援について前向きに話し合っていきたいと思います。
「1人1人のできる小さな事」を「自分しかできない事」たくさん集めていきたい。

そして、それが必ず自分自身の「生きる意味」につながっていくことと信じています。

また協力を頂く時期が来ましたら皆さまにご連絡したいと思いますのでその時はよろしくお願いします。
とにかく今思うことをつらつらと書きました。
読みづらい分ですが、最後までお読み頂きありがとうございました。合掌